昨日は弦演でした!!
もうおとといですが・・・。
とにかく26日までは毎日練習だったのでもう多忙中の多忙!!
やはり人間、どれだけ多忙に耐えられるかが、その人の人生の質量に関係しているのでしょうか・・。
パソコンを開くヒマさえないので、当然ブログ法治(放置)でした・・・
前回のなが〜〜い記事には皆さんからコメントいただけてとても嬉しかったです。
本当に返信できなくてごめんなさい!
やはり一つのことに夢中になると、ほかの事に頭が回らなくなってしまう人なので・・・反省反省
それでは近況報告です。
26日に僕の中では年末最大のイベントである弦演がありました。
そして無事終えました。
その後飲み会、さらにメンバーがうちに来て飲み!
今みんなが帰って、さらに掃除を終えたところです。
さて演奏に関してですが、
やはり緊張というのは恐ろしいものです・・・。
練習では毎回弾けるところがミスする・・・。
特に最初のページはちょっと練習の60%くらいしか弾けなかった・・・残念・・・・
でもみんなと目を合わせつつ弾いていくうちにリラックスできたのか、最後のほうは十分に楽しく弾けましたし、弾ききった!!という感慨でいっぱいになりました。
やっぱりみんなで音楽を奏でるって言うのは、言葉にならない楽しさがありますね。音と体でコミュニケーションして、緊密に寄り添って・・・。
昨日終わったばっかりなのに、もうまたやりたい!!と思う始末です。
緊張ということについて一言。
やはり本番というのは、注意力というか客観性の触手がほとんど一本になってしまうんですね。
練習の時なら、落ち着いている時は、弓順、弓圧、ビブラート、音量、音程、アイコンタクト、アクセント、これらもろもろのバイオリン演奏に欠かせない項目に注意力が向きます。
これらを同時に意識して演奏することができるのです。
しかし本番は音程のことで頭がいっぱいになって他の諸要素への客観性を失い、さらにやばい!!!という焦りが冷静さを減退させる。
やはり本番でもこれら諸要素をしっかりと冷静に把握しながら弾ける能力・・・・これもバイオリンの実力なのでしょう。
僕もまだまだです・・・。
これはバイオリンに限らず人生いろいろなところ、勝負どころでも同じことなんで、なんとか本番に強い人間になりたいものです。
さて。。
もう2006年のイベントはすべて終了しました。。明日も友達と遊ぶんですが、やっぱり本番が終わると気持ちが楽ですね・・。
これから年賀状をどうするか思案するつもりです。
しかし・・・・・
昨日までずっとみんなと一緒っていう感覚が強かったというか、否が応でも人との密接な関係の中にいつづけたせいか・・・
今一人で部屋にいることがとても寂しい・・・・。
音楽ってすごい安心を人に与えるんですかね。
一緒っていう感覚・・・。
ま、明日の夜には実家に帰るんで、この孤独ともお別れできるんですが。
とにかく、2006年みなさんはどんな年でしたか??
色々ありましたが、もう暮れです。
来年もよろしくお願いします。
応援もよろしくお願いします。
もうおとといですが・・・。
とにかく26日までは毎日練習だったのでもう多忙中の多忙!!
やはり人間、どれだけ多忙に耐えられるかが、その人の人生の質量に関係しているのでしょうか・・。
パソコンを開くヒマさえないので、当然ブログ法治(放置)でした・・・
前回のなが〜〜い記事には皆さんからコメントいただけてとても嬉しかったです。
本当に返信できなくてごめんなさい!
やはり一つのことに夢中になると、ほかの事に頭が回らなくなってしまう人なので・・・反省反省
それでは近況報告です。
26日に僕の中では年末最大のイベントである弦演がありました。
そして無事終えました。
その後飲み会、さらにメンバーがうちに来て飲み!
今みんなが帰って、さらに掃除を終えたところです。
さて演奏に関してですが、
やはり緊張というのは恐ろしいものです・・・。
練習では毎回弾けるところがミスする・・・。
特に最初のページはちょっと練習の60%くらいしか弾けなかった・・・残念・・・・
でもみんなと目を合わせつつ弾いていくうちにリラックスできたのか、最後のほうは十分に楽しく弾けましたし、弾ききった!!という感慨でいっぱいになりました。
やっぱりみんなで音楽を奏でるって言うのは、言葉にならない楽しさがありますね。音と体でコミュニケーションして、緊密に寄り添って・・・。
昨日終わったばっかりなのに、もうまたやりたい!!と思う始末です。
緊張ということについて一言。
やはり本番というのは、注意力というか客観性の触手がほとんど一本になってしまうんですね。
練習の時なら、落ち着いている時は、弓順、弓圧、ビブラート、音量、音程、アイコンタクト、アクセント、これらもろもろのバイオリン演奏に欠かせない項目に注意力が向きます。
これらを同時に意識して演奏することができるのです。
しかし本番は音程のことで頭がいっぱいになって他の諸要素への客観性を失い、さらにやばい!!!という焦りが冷静さを減退させる。
やはり本番でもこれら諸要素をしっかりと冷静に把握しながら弾ける能力・・・・これもバイオリンの実力なのでしょう。
僕もまだまだです・・・。
これはバイオリンに限らず人生いろいろなところ、勝負どころでも同じことなんで、なんとか本番に強い人間になりたいものです。
さて。。
もう2006年のイベントはすべて終了しました。。明日も友達と遊ぶんですが、やっぱり本番が終わると気持ちが楽ですね・・。
これから年賀状をどうするか思案するつもりです。
しかし・・・・・
昨日までずっとみんなと一緒っていう感覚が強かったというか、否が応でも人との密接な関係の中にいつづけたせいか・・・
今一人で部屋にいることがとても寂しい・・・・。
音楽ってすごい安心を人に与えるんですかね。
一緒っていう感覚・・・。
ま、明日の夜には実家に帰るんで、この孤独ともお別れできるんですが。
とにかく、2006年みなさんはどんな年でしたか??
色々ありましたが、もう暮れです。
来年もよろしくお願いします。
応援もよろしくお願いします。
なんかまた風邪っぽい・・・この前ひいたばっかだから今年はもうかからないだろうと思ってたんですが・・・。
もしかしてノロウイルス・・・??
ここからはネタバレ注意です。
今日は高校の友達と映画「硫黄島からの手紙」を見てきました。
感想は、久々に重たい戦争映画を見た・・・です。
久々というか、今まで見た中では一番ドシンと来る感じです。
クリントイーストウッド監督なんで、日本人のように情緒的で感情に訴えてくる、というよりは、たんたんと戦場の現場を映し、描ききる、といった感じの作品で、アメリカ人らしいバッサリとした感覚で撮られていました。
そこがネチネチしてなくて、よかったです。
別にほとんどイデオロギッシュな主張とかもなかったし、ある意味シンプルな映画であるともいえます。
それでも見終わった後のあのズッシリ感は、やはり映像の迫力と、言葉よりも体とアクションでの表現が徹底して突き詰められていたからであると思います。
さて本題に入りますが、
やっぱり見終えて一番考えたのは、「いのち」ってなんだろう、ということです。
はっきりいってこの映画、主要な登場人物が次々と死にます。
というか二宮君を除いて全員死にます。
硫黄島の日本軍はまさしく玉砕するわけですけど、もう最後のほうでは、なんと人間の命というのはちっぽけではかないものかと・・・。
人それぞれにはそれまでの人生があり、家族があり、人間という単体の生き物には、大量の物理的ないし精神的なものが付随しています。
それが戦場という特殊な場所にあっては、飛び交う弾丸と爆薬の中で、それら大量の付随物は、非常に単純な物理的衝撃で無に帰すわけです。
これがやはりあらためて見せ付けられると、衝撃であり、脅威であり、想像を超えた現象なんですね。
この現実に一人の人間が耐え得るには「覚悟」が必要なんです。
はっきり言って我々が現在住む日本ではこの覚悟は希薄・・というか全く必要ないので、ほぼ忘却しています。
今日の衝撃は、やはりその忘却が揺り起こされたところに最初の原因があるのでしょう。
こういう映画を見ると、やはり想像するのは、自分が今ここにいたら、この状況にいたら、どうするだろう?どうなるだろう?ということである。
例えば映画の中盤で、ある拠点の死守を命じられていた部隊が、その拠点の陥落に際して、集団自決をするシーンがあります。
自決する側の言いぶんは、命令では死ぬまで死守せよ、であるのに、死守できなかった。死ぬしかない。
命がけで退却して別の拠点に合流し戦うという選択支もあるんですが、日本軍の雰囲気というかポリシーでは、こういう場合は命令を全うできず不名誉な退却をしてでも、命がある間は何かできるはず!とはならず、潔く自決するほうを選ぶらしいのです。
天皇陛下万歳三唱の後、彼らは手榴弾を胸に当てて一人ずつ自爆していきます。
しかし僕なんかはこんな洞窟で自爆するよりかは、天皇陛下万歳と叫びながら、蜂の巣覚悟で日本刀振りかざして、敵陣に切り込んでいく最後のほうが全然かっこいいというか、華々しいと思いましたし、洞窟で自爆ってのはやだな・・・・と思いました。
投降する日本兵が出てきましたが、これも一つの手です。
硫黄島の場合、生き残る唯一の方法でありますし、僕だったら投降するだろうか・・・とも考えました。
ただ僕だったら、仲間を裏切って投降してまで自分の生に自信が持てるかと考えると、きっとみんなと一緒に玉砕の道を選ぶだろうな・・・と思うのです。
とにかく、確実にいえることは、何か強い精神的支柱というか、覚悟というか、ある意味一つの信仰心がなければ、僕のような情けない人間など、激戦の硫黄島にいたら、流れ弾に当たるのが怖くて、どさくさにまぎれて脱走して、どこかの木陰や岩陰に隠れて、ほとぼりが冷めるまで待つ・・・そんな卑怯な行動をとってしまいそうです。
そこではたして自分は、この極限状態でも立派な人間として活動できる精神を持つことができるだろうか・・・、この考えが映画を見ている間中ずっと心の中でうごめいていました。
その支柱とはなんだろうか。
天皇陛下・・?愛する人?家族??
自分の信じる正義???
まだわかりません。
しかし思うのは、少なくとも硫黄島にいた日本兵はほとんどがこの支柱を持って戦ったということ。というかなければ戦えませんよ。勝ち目ないんですから。全員生きて本土には帰れませんよ、という前提の下で作戦開始してるわけですから。
やっぱり人間というのは、自分のために生きようと思ったら、精神を保っていられないんですよね。怖くて怖くて精神は形を保てなくなってドロドロに溶け、木陰で隠れているしかなくなる。
精神をビシッと規定し、極限状態で人間を人間たらしめるのは、やはり他者なんでしょうね。
自分の命は自分のためにあると思うほどには、人間の精神は強くできてはいないらしい・・・・。
昨日教育基本法が改正され、いわゆる戦後の個人主義が転機を迎えました。基本的に、今までの教育基本法は自分の命は自分のためにあり、それは最も高尚な価値だ、という理念ですよね。
でもこんな理念、もし今自分が硫黄島にいたら、ゴミみたいなものですよね。
ほんとやンなっちゃうけど、やってられないんだけど、自分の命にそんな価値を置いたら、あの島では足がすくんで一歩も動けなくなってしまう。
やはり自分の命の一段上に、自己の精神を律する価値を置かなければ、あの島では一秒も生きられない。
さて、人類の普遍的なグラウンドとして、硫黄島の状況というのは、異様な状況なのか、すなわち克服可能な状況なのか、もしくは当然の、人類の運命というか宿命というか、本来の状況なのか・・・。
大学の友人とはいつもこの話をするんですが、人間は性善説か性悪説か。戦争は克服できるものなのか。人類の本能の発露なのか。
僕は人がそれぞれ他人である以上、戦争は人間の宿命ではないか、と思っています。確定ではないですが。
しかしある友人は、人間には他の動物にはない、「理性」を持っている。本能で動く動物とは違う。よっていつか人類は戦争を克服し、新たな平和な時代を作ることができる・・・・と進化論的なことを言ったりします。
これは本当に大きな、決定的な違いですよね。
世界の認識の仕方がまるっきり変わります。
どちらが正しいのか、僕にはわかりませんが、もし人類が性悪説に立つなら、僕は人間は人として生きる以上、硫黄島のような状況に立たされてもいいような覚悟を持つべきだと思います。
・・・・・なんだか眠くて集中力切れ・・・
自分でも何が言いたいのかわからなくなってきました・・・
とにかく見てない人は見に行ってほしいですね。
少なくとも何が変わるって、自然に靖国神社へ行って英霊の前で手を合わせたくなると思います。
もっと書きたいことあったんですが、また元気になり次第・・・
応援よろしくお願いします
もしかしてノロウイルス・・・??
ここからはネタバレ注意です。
今日は高校の友達と映画「硫黄島からの手紙」を見てきました。
感想は、久々に重たい戦争映画を見た・・・です。
久々というか、今まで見た中では一番ドシンと来る感じです。
クリントイーストウッド監督なんで、日本人のように情緒的で感情に訴えてくる、というよりは、たんたんと戦場の現場を映し、描ききる、といった感じの作品で、アメリカ人らしいバッサリとした感覚で撮られていました。
そこがネチネチしてなくて、よかったです。
別にほとんどイデオロギッシュな主張とかもなかったし、ある意味シンプルな映画であるともいえます。
それでも見終わった後のあのズッシリ感は、やはり映像の迫力と、言葉よりも体とアクションでの表現が徹底して突き詰められていたからであると思います。
さて本題に入りますが、
やっぱり見終えて一番考えたのは、「いのち」ってなんだろう、ということです。
はっきりいってこの映画、主要な登場人物が次々と死にます。
というか二宮君を除いて全員死にます。
硫黄島の日本軍はまさしく玉砕するわけですけど、もう最後のほうでは、なんと人間の命というのはちっぽけではかないものかと・・・。
人それぞれにはそれまでの人生があり、家族があり、人間という単体の生き物には、大量の物理的ないし精神的なものが付随しています。
それが戦場という特殊な場所にあっては、飛び交う弾丸と爆薬の中で、それら大量の付随物は、非常に単純な物理的衝撃で無に帰すわけです。
これがやはりあらためて見せ付けられると、衝撃であり、脅威であり、想像を超えた現象なんですね。
この現実に一人の人間が耐え得るには「覚悟」が必要なんです。
はっきり言って我々が現在住む日本ではこの覚悟は希薄・・というか全く必要ないので、ほぼ忘却しています。
今日の衝撃は、やはりその忘却が揺り起こされたところに最初の原因があるのでしょう。
こういう映画を見ると、やはり想像するのは、自分が今ここにいたら、この状況にいたら、どうするだろう?どうなるだろう?ということである。
例えば映画の中盤で、ある拠点の死守を命じられていた部隊が、その拠点の陥落に際して、集団自決をするシーンがあります。
自決する側の言いぶんは、命令では死ぬまで死守せよ、であるのに、死守できなかった。死ぬしかない。
命がけで退却して別の拠点に合流し戦うという選択支もあるんですが、日本軍の雰囲気というかポリシーでは、こういう場合は命令を全うできず不名誉な退却をしてでも、命がある間は何かできるはず!とはならず、潔く自決するほうを選ぶらしいのです。
天皇陛下万歳三唱の後、彼らは手榴弾を胸に当てて一人ずつ自爆していきます。
しかし僕なんかはこんな洞窟で自爆するよりかは、天皇陛下万歳と叫びながら、蜂の巣覚悟で日本刀振りかざして、敵陣に切り込んでいく最後のほうが全然かっこいいというか、華々しいと思いましたし、洞窟で自爆ってのはやだな・・・・と思いました。
投降する日本兵が出てきましたが、これも一つの手です。
硫黄島の場合、生き残る唯一の方法でありますし、僕だったら投降するだろうか・・・とも考えました。
ただ僕だったら、仲間を裏切って投降してまで自分の生に自信が持てるかと考えると、きっとみんなと一緒に玉砕の道を選ぶだろうな・・・と思うのです。
とにかく、確実にいえることは、何か強い精神的支柱というか、覚悟というか、ある意味一つの信仰心がなければ、僕のような情けない人間など、激戦の硫黄島にいたら、流れ弾に当たるのが怖くて、どさくさにまぎれて脱走して、どこかの木陰や岩陰に隠れて、ほとぼりが冷めるまで待つ・・・そんな卑怯な行動をとってしまいそうです。
そこではたして自分は、この極限状態でも立派な人間として活動できる精神を持つことができるだろうか・・・、この考えが映画を見ている間中ずっと心の中でうごめいていました。
その支柱とはなんだろうか。
天皇陛下・・?愛する人?家族??
自分の信じる正義???
まだわかりません。
しかし思うのは、少なくとも硫黄島にいた日本兵はほとんどがこの支柱を持って戦ったということ。というかなければ戦えませんよ。勝ち目ないんですから。全員生きて本土には帰れませんよ、という前提の下で作戦開始してるわけですから。
やっぱり人間というのは、自分のために生きようと思ったら、精神を保っていられないんですよね。怖くて怖くて精神は形を保てなくなってドロドロに溶け、木陰で隠れているしかなくなる。
精神をビシッと規定し、極限状態で人間を人間たらしめるのは、やはり他者なんでしょうね。
自分の命は自分のためにあると思うほどには、人間の精神は強くできてはいないらしい・・・・。
昨日教育基本法が改正され、いわゆる戦後の個人主義が転機を迎えました。基本的に、今までの教育基本法は自分の命は自分のためにあり、それは最も高尚な価値だ、という理念ですよね。
でもこんな理念、もし今自分が硫黄島にいたら、ゴミみたいなものですよね。
ほんとやンなっちゃうけど、やってられないんだけど、自分の命にそんな価値を置いたら、あの島では足がすくんで一歩も動けなくなってしまう。
やはり自分の命の一段上に、自己の精神を律する価値を置かなければ、あの島では一秒も生きられない。
さて、人類の普遍的なグラウンドとして、硫黄島の状況というのは、異様な状況なのか、すなわち克服可能な状況なのか、もしくは当然の、人類の運命というか宿命というか、本来の状況なのか・・・。
大学の友人とはいつもこの話をするんですが、人間は性善説か性悪説か。戦争は克服できるものなのか。人類の本能の発露なのか。
僕は人がそれぞれ他人である以上、戦争は人間の宿命ではないか、と思っています。確定ではないですが。
しかしある友人は、人間には他の動物にはない、「理性」を持っている。本能で動く動物とは違う。よっていつか人類は戦争を克服し、新たな平和な時代を作ることができる・・・・と進化論的なことを言ったりします。
これは本当に大きな、決定的な違いですよね。
世界の認識の仕方がまるっきり変わります。
どちらが正しいのか、僕にはわかりませんが、もし人類が性悪説に立つなら、僕は人間は人として生きる以上、硫黄島のような状況に立たされてもいいような覚悟を持つべきだと思います。
・・・・・なんだか眠くて集中力切れ・・・
自分でも何が言いたいのかわからなくなってきました・・・
とにかく見てない人は見に行ってほしいですね。
少なくとも何が変わるって、自然に靖国神社へ行って英霊の前で手を合わせたくなると思います。
もっと書きたいことあったんですが、また元気になり次第・・・
応援よろしくお願いします
白菜が安かったので、豚肉も買って、水炊きにして食べました。
もちろんポン酢でいただきました。
食材はたったの二種類。だしもない。
本当にシンプルだけど、はまります。
これは冬の定番メニューになりそな予感。なにより経済的。
てな話はさておき。
いまNHKでモーツアルトの番組やってます。
出てくる都市や教会、結構行ったことある場所が多くて、懐かしいって感じです。
このブログでは言っていなかったのですが、去年のワグネルの演奏旅行でウイーンを中心に海外演奏旅行をしたので、東欧の主要都市に行ったことがあるんです。
プラハも懐かしいですな。
モーツアルトの曲は純粋な美しさというか、あまりに洗練されてるんで、僕ら素人が弾くと、すぐに粗が出るというか、まぁ難しいんです。
こうやって番組を見終えると、やっぱり確実にモーツアルトという人には音楽の神様が微笑んだんでしょうね。
最近日常ネタが多いですね・・
応援よろしくお願いします。
もちろんポン酢でいただきました。
食材はたったの二種類。だしもない。
本当にシンプルだけど、はまります。
これは冬の定番メニューになりそな予感。なにより経済的。
てな話はさておき。
いまNHKでモーツアルトの番組やってます。
出てくる都市や教会、結構行ったことある場所が多くて、懐かしいって感じです。
このブログでは言っていなかったのですが、去年のワグネルの演奏旅行でウイーンを中心に海外演奏旅行をしたので、東欧の主要都市に行ったことがあるんです。
プラハも懐かしいですな。
モーツアルトの曲は純粋な美しさというか、あまりに洗練されてるんで、僕ら素人が弾くと、すぐに粗が出るというか、まぁ難しいんです。
こうやって番組を見終えると、やっぱり確実にモーツアルトという人には音楽の神様が微笑んだんでしょうね。
最近日常ネタが多いですね・・
応援よろしくお願いします。
今日はバイオリンを調整に出してきました。

楽器というのは、特に木でできている楽器ですから、湿気や衝撃で常にコンディションが変化し、定期的に専門家に見てもらう必要があります。
弦も消耗品ですから、一番良い音を出したい日にあわせて、弦を張り替えることも大切です。
弓の毛(これは馬の尾の毛ですが)もやはり消耗品。
今日は弦も弓の毛も張り替えました。
駒の下に入っている魂柱といわれる棒も、長年の使用でズレてきて、本来あるべきとこにはなかったので、これも調整してもらいました。
バイオリンというのは本当に生き物のようなものです。
毎日変化し続けるというか、今日はよく鳴るなぁ・・・とか、今日は音悪いな〜とか、乾いた音の日や、つややかに鳴る日・・・。
もう持ち主の意向は全く関係なく気まぐれに変化するので、人間が作り出した道具でありながら、完全に制御できない未知の部分を多分に含んだ、まさに人間のように底知れぬ奥深さがあります。
ある日は親密に分かり合える相棒になったり、ある日は何を思ってるのかわからない不快な他人になる。
まったく難しい。。
こちらが押したら期待を超えて答えてくれる場合と、まったく裏切られる場合がある。
このカオスを体験するのも、楽器をやる醍醐味の一つですよね。
今日調整後にちょこっと弾いたら、まだ馴染んでないのか、発音は良いんだけど、まだメタリックな感じで、湿度がない。音に。
だんだんツヤが出てくると期待します。
応援よろしくお願いします。

楽器というのは、特に木でできている楽器ですから、湿気や衝撃で常にコンディションが変化し、定期的に専門家に見てもらう必要があります。
弦も消耗品ですから、一番良い音を出したい日にあわせて、弦を張り替えることも大切です。
弓の毛(これは馬の尾の毛ですが)もやはり消耗品。
今日は弦も弓の毛も張り替えました。
駒の下に入っている魂柱といわれる棒も、長年の使用でズレてきて、本来あるべきとこにはなかったので、これも調整してもらいました。
バイオリンというのは本当に生き物のようなものです。
毎日変化し続けるというか、今日はよく鳴るなぁ・・・とか、今日は音悪いな〜とか、乾いた音の日や、つややかに鳴る日・・・。
もう持ち主の意向は全く関係なく気まぐれに変化するので、人間が作り出した道具でありながら、完全に制御できない未知の部分を多分に含んだ、まさに人間のように底知れぬ奥深さがあります。
ある日は親密に分かり合える相棒になったり、ある日は何を思ってるのかわからない不快な他人になる。
まったく難しい。。
こちらが押したら期待を超えて答えてくれる場合と、まったく裏切られる場合がある。
このカオスを体験するのも、楽器をやる醍醐味の一つですよね。
今日調整後にちょこっと弾いたら、まだ馴染んでないのか、発音は良いんだけど、まだメタリックな感じで、湿度がない。音に。
だんだんツヤが出てくると期待します。
応援よろしくお願いします。
野菜の安い店を発見したので最近はよく自炊してます。
今日はチンゲン菜を買って、豚肉と炒めて食べました。
この前はレタスを買ったんですが、驚くのは、野菜の芯の近くの清らかなことです。
周りの大きな葉っぱは太陽光にさらされたり、泥をかぶったり、農家の手でつかまれたり、虫に食われたりと、色は濃くて無骨な感じがするんですが、中に行くにつれて、白くて、やわらかくて、淡い色合いの無垢な葉が顔を出します。
この葉っぱは今の今まで外部に晒されたことのない純白をしていて、台所の電気の強い光に驚いているわけです。
野菜というのはたかだか70円(チンゲンサイ)で売っているんですが、その美しさと神秘性ときたら・・・。
奥が深い。
話は変わりますが、主婦というのはすごいですね。
安売りしている商品を選んで買いながら、あるものは今日の料理に、もしくは明日以降の料理に使用する。
今日の夕飯という短期的な思考だけでなく、一週間の献立を念頭に置いた中期的な戦略、さらに長期的な保存など、きわめて多角的な問題をスーパーにおいておこなわなければならないわけです。
おいしさと健康、経済性という問題をクリアした食事を自分自身でプロデュースし、それを毎日継続的に続けていく・・・。
当たり前のように思っていた主婦の仕事がどれだけ高度なレベルにあったか、最近思い知らされています。
上司に言われるまま命令に従って一時間900円の仕事もありますが、
主婦の仕事が対価ゼロなんですから、世の中の仕事の価値をその対価で判断することがいかにばかばかしいか、よくわかります。
とにかく主婦はこういう高度な思考を毎日やっているわけですから、ボケることはまずないと思うんですが・・・。
逆に毎日お惣菜に頼っている生活では、確実にボケるということです。
反省反省。
そんな日常の話でした・・・。
こんなエントリがあってもいいかな。
応援よろしくお願いします。
今日はチンゲン菜を買って、豚肉と炒めて食べました。
この前はレタスを買ったんですが、驚くのは、野菜の芯の近くの清らかなことです。
周りの大きな葉っぱは太陽光にさらされたり、泥をかぶったり、農家の手でつかまれたり、虫に食われたりと、色は濃くて無骨な感じがするんですが、中に行くにつれて、白くて、やわらかくて、淡い色合いの無垢な葉が顔を出します。
この葉っぱは今の今まで外部に晒されたことのない純白をしていて、台所の電気の強い光に驚いているわけです。
野菜というのはたかだか70円(チンゲンサイ)で売っているんですが、その美しさと神秘性ときたら・・・。
奥が深い。
話は変わりますが、主婦というのはすごいですね。
安売りしている商品を選んで買いながら、あるものは今日の料理に、もしくは明日以降の料理に使用する。
今日の夕飯という短期的な思考だけでなく、一週間の献立を念頭に置いた中期的な戦略、さらに長期的な保存など、きわめて多角的な問題をスーパーにおいておこなわなければならないわけです。
おいしさと健康、経済性という問題をクリアした食事を自分自身でプロデュースし、それを毎日継続的に続けていく・・・。
当たり前のように思っていた主婦の仕事がどれだけ高度なレベルにあったか、最近思い知らされています。
上司に言われるまま命令に従って一時間900円の仕事もありますが、
主婦の仕事が対価ゼロなんですから、世の中の仕事の価値をその対価で判断することがいかにばかばかしいか、よくわかります。
とにかく主婦はこういう高度な思考を毎日やっているわけですから、ボケることはまずないと思うんですが・・・。
逆に毎日お惣菜に頼っている生活では、確実にボケるということです。
反省反省。
そんな日常の話でした・・・。
こんなエントリがあってもいいかな。
応援よろしくお願いします。
ネット右翼って言う言葉が最近テレビでも使われるようになってきて、その言葉には左側から見た右側への侮蔑が色濃く出ていますね。
ネット上にわらわらと群がった中国韓国などに対し排他的でナショナリスティックな集団で、匿名性の名の下に自分達と違うものを徹底的に攻撃する・・・
こういう負のニュアンスがやっぱりネット右翼っていう言葉には付きまとっています。
しかしネット上で展開されている右派、もしくは保守派、伝統派などの勢力はすべて上記のようなニュアンスでくくれるようなものではありません。
たしかにこういうやからというか、いわゆるネット右翼が多数いて、彼らが炎上などによって注目を浴びることは事実ですが、少なくとも僕は「排他的」で「ナショナリスティック」であることは極力避けようとしてますし、韓国人を嫌いなど思いませんし、差別などもってのほかだと思ってます。
だからネット右翼ってくくられるのは心外なんですね。
こう思ってる人はかなり多いと思います。
排他的、差別的ではない伝統保守の勢力もネット上でかなり多いはずです。
というわけで、僕を含むこの集団というか勢力に、「ネット右翼」に対応したキャッチーなネーミングを考えたいわけなんです。
ネオコンみたいに「○○コン」とか、
ネット○○とか、
はたまたもっと独創的な何か・・・。
とにかく親しみやすいネーミングが与えられると、一気にその勢力は社会的に認知されて、勢力の団結力も影響力も増大すると思うんですよ。
負のイメージがついた名前じゃなくて、もっとポジティブなネーミング、現在考え中です。。
みなさんも何かいい案があれば教えてくださいな。
ランキングアップに御協力ください!!!
ネット上にわらわらと群がった中国韓国などに対し排他的でナショナリスティックな集団で、匿名性の名の下に自分達と違うものを徹底的に攻撃する・・・
こういう負のニュアンスがやっぱりネット右翼っていう言葉には付きまとっています。
しかしネット上で展開されている右派、もしくは保守派、伝統派などの勢力はすべて上記のようなニュアンスでくくれるようなものではありません。
たしかにこういうやからというか、いわゆるネット右翼が多数いて、彼らが炎上などによって注目を浴びることは事実ですが、少なくとも僕は「排他的」で「ナショナリスティック」であることは極力避けようとしてますし、韓国人を嫌いなど思いませんし、差別などもってのほかだと思ってます。
だからネット右翼ってくくられるのは心外なんですね。
こう思ってる人はかなり多いと思います。
排他的、差別的ではない伝統保守の勢力もネット上でかなり多いはずです。
というわけで、僕を含むこの集団というか勢力に、「ネット右翼」に対応したキャッチーなネーミングを考えたいわけなんです。
ネオコンみたいに「○○コン」とか、
ネット○○とか、
はたまたもっと独創的な何か・・・。
とにかく親しみやすいネーミングが与えられると、一気にその勢力は社会的に認知されて、勢力の団結力も影響力も増大すると思うんですよ。
負のイメージがついた名前じゃなくて、もっとポジティブなネーミング、現在考え中です。。
みなさんも何かいい案があれば教えてくださいな。
ランキングアップに御協力ください!!!
やっとこさネットが復活しました。
11月15日に繋がらなくなってから半月、長い長いネットなし生活は苦痛でしたね・・・
これからは毎日更新できますのでよろしくお願いします。
今報道ステーションで復党問題やってるので、一応政治ブログらしくコメント。。
僕は復党に関しては容認するつもりです。
中川幹事長は「筋」と言ってますが、小泉さんが作った筋よりも、自民党がもつ緩やかな保守派としての柔軟性、いい意味での曖昧さを自民党が保持することのほうが、おそらく自民党にとってプラスになると思うからです。
小泉という人は、自民党という生き物の中に現れた一つの突然変異的な存在で、異質な政治家でしたし、自民党をぶっ壊すとぶち上げて、亀井さんらを追い出し、平沼さんたちも放り出した。
そのパワーの源は世論、支持率ですね。
キャッチーな政治手法と、雰囲気、ルックスなど、奇跡的とも言える高支持率を保ち続けた小泉さんを、自民党は異質な存在と認めながら、十分すぎるほどに利用した、ともいえます。
その結果の衆院選大勝利です。
ようするに今自民党は小泉さんの「筋」によって弾かれた自民党員を、小泉さんの「筋」がもう利用価値がない、ということで復党させるわけです。
もちろん「踏み絵」があったわけですから、自民党が小泉を完全に捨てたわけではなく、未だに安倍さんは小泉さんの作ったレールの上でしか行動していないわけですけど。
だから要するに自民党にとって、選挙で大勝させてくれた小泉的「筋」を利用しつくしたので、もうもとの保守的な自民党に段階的に戻ろう、というわけでしょう。
もちろん捨てられた「筋」には国民の多数の支持があるわけですから、今安倍さんは残念なことに支持率下がってますね・・・。
復党は選挙後でいいじゃないか、という声がありますし、最もだと思います。だからおそらく「踏み絵」があったんでしょう。
踏み絵を踏まなかった平沼さんは、じゃあ参院選終わるまで待ってくださいね、ということだと思います。
きっと安倍さんも中川さんも苦渋の決断をしたのでしょう。
と、プラス思考で予測してみました。
小泉さんの功績(靖国とか)はすごいと思いますが、新自由主義的な経済政策はあまり支持してません。
もちろんその路線を安倍さんは引き継いでほしくないし、自民党がその信奉者になってはほしくない。
だから僕は最終的には郵政民営化反対派が全員自民党に戻って、一つの幅のある自民党に戻るっていうことは、支持したいと思います。
と、個人的なあさ〜〜い見解を書いてみました。
これから毎日更新したいですね〜〜〜
がんばろ〜〜と!
ランキングは一体どこまで落ちたのか・・・。もうわからないほどw
それでも徐々にでいいからランクアップできたらいいな。
応援のほうよろしくお願いします!!
11月15日に繋がらなくなってから半月、長い長いネットなし生活は苦痛でしたね・・・
これからは毎日更新できますのでよろしくお願いします。
今報道ステーションで復党問題やってるので、一応政治ブログらしくコメント。。
僕は復党に関しては容認するつもりです。
中川幹事長は「筋」と言ってますが、小泉さんが作った筋よりも、自民党がもつ緩やかな保守派としての柔軟性、いい意味での曖昧さを自民党が保持することのほうが、おそらく自民党にとってプラスになると思うからです。
小泉という人は、自民党という生き物の中に現れた一つの突然変異的な存在で、異質な政治家でしたし、自民党をぶっ壊すとぶち上げて、亀井さんらを追い出し、平沼さんたちも放り出した。
そのパワーの源は世論、支持率ですね。
キャッチーな政治手法と、雰囲気、ルックスなど、奇跡的とも言える高支持率を保ち続けた小泉さんを、自民党は異質な存在と認めながら、十分すぎるほどに利用した、ともいえます。
その結果の衆院選大勝利です。
ようするに今自民党は小泉さんの「筋」によって弾かれた自民党員を、小泉さんの「筋」がもう利用価値がない、ということで復党させるわけです。
もちろん「踏み絵」があったわけですから、自民党が小泉を完全に捨てたわけではなく、未だに安倍さんは小泉さんの作ったレールの上でしか行動していないわけですけど。
だから要するに自民党にとって、選挙で大勝させてくれた小泉的「筋」を利用しつくしたので、もうもとの保守的な自民党に段階的に戻ろう、というわけでしょう。
もちろん捨てられた「筋」には国民の多数の支持があるわけですから、今安倍さんは残念なことに支持率下がってますね・・・。
復党は選挙後でいいじゃないか、という声がありますし、最もだと思います。だからおそらく「踏み絵」があったんでしょう。
踏み絵を踏まなかった平沼さんは、じゃあ参院選終わるまで待ってくださいね、ということだと思います。
きっと安倍さんも中川さんも苦渋の決断をしたのでしょう。
と、プラス思考で予測してみました。
小泉さんの功績(靖国とか)はすごいと思いますが、新自由主義的な経済政策はあまり支持してません。
もちろんその路線を安倍さんは引き継いでほしくないし、自民党がその信奉者になってはほしくない。
だから僕は最終的には郵政民営化反対派が全員自民党に戻って、一つの幅のある自民党に戻るっていうことは、支持したいと思います。
と、個人的なあさ〜〜い見解を書いてみました。
これから毎日更新したいですね〜〜〜
がんばろ〜〜と!
ランキングは一体どこまで落ちたのか・・・。もうわからないほどw
それでも徐々にでいいからランクアップできたらいいな。
応援のほうよろしくお願いします!!
電話しても「只今混み合っております」連呼で、女の人の録音とエリーゼのためにの冒頭の繰り返し…
このてのイライラはホントにダメだ…
961エラーって何だよボケェ!!って怒鳴り散らしたいんだけど、いっこうに生身の人間が出てこない。
機械システムだけでお客様に対応しようとしている姿勢が気にくわない!
機械に怒りをぶつけても人間のストレスは解消されないんだなぁ…
イライラでひどい文章になってしまいました…
ケータイで更新してます…。
このてのイライラはホントにダメだ…
961エラーって何だよボケェ!!って怒鳴り散らしたいんだけど、いっこうに生身の人間が出てこない。
機械システムだけでお客様に対応しようとしている姿勢が気にくわない!
機械に怒りをぶつけても人間のストレスは解消されないんだなぁ…
イライラでひどい文章になってしまいました…
ケータイで更新してます…。
